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おばあちゃんの話、第二話

おばあちゃんの話、第二話

おばあちゃんの話の続きです。第一話はこちら。

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大好きだったおばあちゃん、梅子おばあちゃんの話の続きです。オンライン上に思い出としてちゃんと残しておきたいなと思って書いています。

8年間の同居が終わって、自分は就職してなかなか会いに行けなくなりました。

おばあちゃんとの8年間の生活は両親が海外の赴任先から帰国して終わりました。まあお別れと言っても実家は隣なので、それからは寝食を共にしないだけ。特に寂しくはありません。
そしておばあちゃんは引き続き元気に絵を描き続け、余生を自由に過ごしていたようです。

大学を卒業して自分はエンタメ業界に就職しました。11時に出社して深夜にタクシー帰宅みたいな生活が何年も続き、余裕で過労死ボーダー突破な仕事環境でした。その後結婚して実家を出た後は、なかなか帰れず、おばあちゃんに会うのも年に一回の正月くらいになっていました。

腰の骨をおる大怪我以降、だんだん元気がなくなって、寝たきりに・・・

しばらくして、おばあちゃんが腰の骨を折る大怪我をしたと聞きました。雨戸、と言ってもアルミの雨戸などではなく、窓枠の端っこにある戸袋から引っ張り出して閉めるタイプの昭和時代の木の雨戸です。その雨戸を閉める際に戸が外れて前方に体ごと一緒に倒れてしまい、コンクリートに腰を打ち付けて骨折したのです。手術をして骨に金属のジョイントを入れ、一応回復はしたものの、それからは段々元気が無くなって、遂には寝たきりに近い状態になってしまいました。

自分は最初あまり詳しい容態を聞かされていなかったので、大事と感じていませんでした。ちょっと怪我をしたくらいだと思っていました。今から思うとおばあちゃんっ子だった自分を心配して、敢えて詳しく伝えなかったんだと思います。でも、ちゃんと知らせてくれれば良かったのに。だったらもっと会いに行っていたのに。今も後悔しています。

その後おばあちゃんはだんだんボケてきて、意識がはっきりしなくなって行きます。

ひ孫の報告が最後のおばあちゃん孝行に。

そしてしばらくして妻が妊娠しました。おばあちゃんにとってはひ孫です。これはおばあちゃんを喜ばせる最後のチャンスかも知れないと思って早速報告に行きました。

「ひ孫ができたんだよ」とおばあちゃんに伝えたら、かすかに残る自意識が少しだけ反応したのか、錯覚かもしれませんが笑って喜んでくれたように見えました。親戚一同の中で最初のひ孫なので、報告が出来て本当に良かったし、おばあちゃん孝行ができたんじゃないかなと思って嬉しく思いました。

そして・・・おばあちゃんは亡くなりました。苦しむこともなかったようなので、まあ良かったです。

火葬場でお骨を骨壷に入れるとき、骨の中に金属の物体がありました。そうです、骨折したときに入れたジョイントです。形見にもらおうと思ったんですが、「おばあちゃんが向こうで歩くのに困るから一緒に収めましょう」と、叔母が言い、確かにそうだと思い直して一緒に骨壷に入れました。

まあ、こんな感じの思い出です。

また他に思い出したら、きまぐれに書いてみようと思います。お読みいただき、ありがとうございました。